こんにちは蔵山詩波です。
今日は私が毒親と戦ってきた約30年間の歴史に、どうやって幕を下ろしたか書いていきます。
私と同様に悩んでいる方が、私と同様に30数年も悩むことのないように、あなたのヒントとなることを願っています。
謝れば済む問題?
それは、心理学を学んで1年後のことでした。母と話していると、突然、泣きながら謝ってきたのです。
「ごめんなさい、、、ごめんなさい」何度も何度も、そう繰り返したのです。
そして、そんな母を見て、私も胸がキュンとしたのです。
そんな自分が、自分でも意外でした。
母が泣いて謝っていることも予想外の出来事でしたが、それよりも、
たぶん以前の私だったら、謝られても、決して許せなかった。
そんなことに気付いたからです。
「そんなきれいごとに、今さら巻き込まないでくれ!」とか、
「泣いてあやまればすむと思っているのか?!」とか、
そんな風に、怒りすら感じていたかもしれません。
母は他人だと思っていたけど、、、
それまでの私は、母を他人だと思うことにしていました。
- 幼い私の世話を放棄したこと
- 借金を作って蒸発したこと
- 私に自慢話ばかりしていたこと
- いつでも敬語を強要したこと
- いつも鋭い目で私を威嚇していたこと
それらは、決して許すことはできないし、そんなことをする母を自分の親だとは認めたくなかったから。
でも、
- 母は母なりに精一杯愛していたことに気付いたり
- 許せない!という気持ちがなくなったり
- お盆と正月に実家に帰るという普通のことができるようになったり
- 最終的には、母との会話を楽しめるようになっていました。
そして母が泣きながら謝ってきたあの日。
本当にこんな日がくるんだ。
目の前で泣いている母を見て、どこか他人事のように、ふわふわと、そんなことを思っていました。
なぜなら、この時の私は、母に謝って欲しいなんて少しも思っていなかったのです。
それぐらい、私の心はすでに、心理学で癒されていました。
どうして母を許せるようになったの?
ここまでくるのに、本当に様々なことを試してきました。
辛くて、終わりが見えなくて、、、それでもなんとかしたくて。必死でした。
あなたがやったことのある方法も、あるかもしれません。
これは無駄だった?30年間の毒親との戦い
①逃げる。(物理的に離れる)
毒親から逃げるため、私が一番最初にとった方法です。この頃は、まだ家にお金があったので、海外留学という手段をとりました。私が高校生の時の話です。(のちに借金ができたので、退学しました。)
「これで清々する!すべてが解決する!」と思っていました。
でも、そんなことはなかった。
どこにいっても、親が監視しているような気分なのです。
私の母は、とくに厳しかったのもあります。
その精神は、自分の心の中に染みついていました。
それまでは、怖いのは母親そのものという人間だと思っていました。しかし、自分の心の中や頭の中まで、どっぷり恐怖に満ちていることを知りました。
もう、どこに行っても、何をしていても、決して自分が毒親から解放されることがないことも分かってしまいました。
場所や距離の問題ではありませんでした。
せっかく、海外まできたのに、親からは一生離れられないということを、身を持って知っただけでした。そして、とてつもなく怖かったのを覚えています。
②許そうと努力する
離れてもどうにもならないなら、許すしかない。今度はそう考えるようになりました。
社会人になったのを機に、今度は、親を許そう許そうと、必死に努力しました。
こんなに頑張ったことはないかもしれません。
でも、結果的に言えば、これが一番、自分の心を壊してしまった気がします。
思ってもいないことや、自分の本心ではないことを実現させようとすると、どうしても、自分の中に二面性ができてしまいます。自分の心が壊れてしまうんじゃないかと思いました。
こんなにも、ツライ方法を取った自分に、今では謝りたい気持ちです。
本当に、心底疲れました。もう二度と、こんな方法をとることはないかもしれません。。。
20代の私は、いつでも敬語で、親思いの良い子を演じることに徹していました。
③そんな親だと諦める
私が30才をすぎて、結婚を考えた時でした。
結局、どう考えても、こんなひどい親だと、諦めるしかなかった。
不可抗力です。
だって、結婚するのに、どうしても、嘘は隠し通せないと思ったのです。
肯定的な意味で認めたわけではありません。
でも、
親が最低な人で、
こんなことをする可能性があって、
今までこんなことがあって、
借金もあって、、、
そんなことは、一生隠せない。
だから、最低な親であることを認めるしかなかった。
こんな親がいる情けない自分に降参するしかなかったのです。
結局、
逃げても、許そうとしても、毒親であると認めても、
何も解決しなかった私の30数年でした。
心理学が本当に解決してくれたこと
では、いったい何が良かったのか?何が母との関係を劇的に改善してくれたのか?
人間心理学センターピース(犬飼ターボ氏)を学んだことが良かったのは、言うまでもありません。そして、その中でも大きく3つあったように思います。
振り返りながら、具体的に書いてみます。
①安心感
自分の中に、安心感という感覚がほとんどないことに気付きました。どういうことかというと、いつも緊張して過ごしていることに、この時ようやく気付いたのです。
私のように幼少期を不安な状態で過ごすと、習慣としてリスク回避が身についてしまうかと思います。つまり、いつも最悪な事態が起こらないか、身構えてしまう。
当たり前ですが、これでは、リラックスのリの字もありません。
安心感という「感覚」が身に付いたことで、普段からリラックスして過ごせることが、どれほどすごいことか!なんて楽なんだ!と思いました。(笑)
それまでは、常に不安で24時間悩んでいたといっても過言ではありません。
安心感が体得できたことで、色々なことを前向きに考えらえる基盤になってくれたと思います。
②愛された記憶
愛れた記憶を形成&増幅させるワークが複数あったのですが、その中でもリコレクションというワークは特別だった気がします。
もしかしたら、あなたもそうかもしれませんが、
親からされたひどいことは良く覚えてて、良かった記憶というのは、ほとんど覚えていませんでした。
もはや、「良かったことなんてあっただろうか?」そう思っていた私でも、愛されるという感覚がどんどん大きくなっていきました。
この愛された記憶を強化したしたことで、自分の心がスッーと満たされていくのを感じました。
実際の親がどうであれ、たった一つの記憶でも無限のプラスの感情を育むことができました。そして、それと同時に、心の中の親の存在もプラスに変わり始め、当時の幼かった記憶の中の私も癒されていったのではないかと思います。
③マイナス感情
このマイナス感情を否定しなくなったことが、とても大きかったように思います。
今までずっと、ツライことばかりで、嫌なことばかりで、逃げ出したかった。でも、できなかった。だからせめても嫌な気持ちを感じないように、心に蓋をしてきました。
でも、マイナス感情にも、大切な理由があることが分かり、嫌な気持ちが少なくなり、そもそも感じることを減らすことができました。
そうしてマイナス感情を自分で扱うことができるようになると、ふと思うのです。
「ずっとイライラしていた母は、もっと子供と関わりたいという強い意欲を持っていたのかもしれないな、、、」とか。「それは素敵なだな、、、」とか。
そこに共感の気持ちだったり、母を肯定する気持ちが出てきました。
つまり、あんなにひどかった親すらも否定的に見ることがなくなってきたのです。
最終的には、親に対して「○○してあげたい」というような、共存の気持ちすら出てきました。
他にもたくさんのワークがあったのですが、大きくいうと、この3つが毒親との関係に作用してくれたのではないかと思います。
今日一日、今日一日だけ平和であって欲しい
毒親に悩んで、借金に悩んで、発達障害に悩んで、、、
こんな私でも、心理学を受講後は一度も昔の自分に戻ることなく、自分らしい人生を歩んでいます。
この生き方が、とても楽しいのです。とても安心するのです。
あんなに悩んで、あんなに苦しんで、
「今日一日、今日一日だけでも平和であって欲しい」と願った私が、です。
30年以上も、そうやって、願い続けていました。
「この苦しみが誰に分かるというのか!!」
そうやって怒って、自分を追い込んで、励まして、、、そのくり返しに、自分ですら嫌気がさしていました。
そんな自分でいたくなかったし、正直、もうこれ以上できないと思った。
経験された方なら分かるかと思います。もう、限界だと思ったのです。
でも、だからこそ、今こうして自分らしい人生を歩むことができました。
毎日が楽しいと思えて、
朝起きて「今日は何をしよう!」って思えるのです。
それは、人間心理学センターピースで
私が一番簡単で、楽に、「自分らしい」生き方を手に入れたからです。
もし、あなたが私と同様に悩んでいるのであれば、何か参考になれば幸いです。
あなたの今日という日が、昨日よりもずっと、素晴らしいものでありますように。