こんにちは 蔵山詩波です^^
今日は、
私が心理学を学んで、根本的に人生を改善するより、もっと前の話になります。
そういえば、あの一言が、
私が幸せな人生を手に入れる、ターニングポイントだったのかもしれない。。。
当時の私にとっては、とても衝撃的な一言でした。
あなたの人生を変えるきっかけになれば幸いです。
悲惨な幼少期
私の幼少期〜青年期といえば、
まぁまあ悲惨でした。
俗に言う、「親ガチャに外れた」方の部類だと思います。
両親はいましたが、毒親のジャンルでした。
スーパー放任主義で、
小学生ぐらいから、
家事全般を1人でこなし、
1人でご飯を食べるような毎日でした。
誰にも相手にされていない状態。
そんな中、高校に進学した頃に、
母親が、借金を残して蒸発します。
想像に容易く、
そんな事が起こり、父親も荒れに荒れました。
この頃に、私自身も悩みのピークを迎えていました。
留学先の高校を退学して、
日本の高校1年生からやり直し。
お金がないので、バイトを掛け持ちし、
なんとか奨学金で高校に行きました。
高校生にして、すでに借金を背負い、
曲がりなりにも母親だった人を失い、
自分の将来に希望が持てず、
生きてる意味を失いそうだと感じていました。
自分の不幸の原因
そんな時、高校の図書室で、ある一冊の本を見つけました。
トリイ•ヘイデンさんという方が書かれた本で、
主に虐待を受けた子、ちょっと変わった子について書かれていました。
※ご参考まで
当時、夢中になって、これらを読みました。
自分がなぜ辛いのか、、、
親から叩かれたり、分かりやすい虐待を受けたわけでもないのに。
すごく、この子達の気持ちに共感したのです。
「あぁ、私はアダルトチルドレンなんだ」
この時、初めてこの単語を知りました。
私は
ロストワン(いない子)
や
ケアテイカー(世話役)
というタイプでした。
時に、誰にも迷惑がかからないように気配を消し、
時に、家族を献身的に支えてバランスを取る。
今からおよそ20年前。
まだまだネットの普及が充分でなかった頃でしたが、
アダルトチルドレンは、親の影響だ。
その一文を見つけて、すごく納得したのを覚えています。
だから、私はずっと苦しかったんだ。
彼らが親であることが、そもそもの私の不幸の原因なんだと。
それでも、両親を支えることを止められない
それから社会人になっても、
辛い日々は続きました。
彼らが親であることは、
私にとって、ある種の十字架みたいなものでした。
背負うべき罪のような。
そんな感覚でした。
借金の返済もあり、
本当に生きた心地がしませんでした。
いつになったら、この苦しみは終わるのだろう。
彼らが生きている間、
許せないまま終わるのだろうか。
そんなことを考えていました。
皆さんがそう思われるのかは分かりませんが、
私は彼らを許さなければならないと思っていました。
この辺は、ケアテイカーの気質なのかもしれません。
だからこそ、
彼らを献身的に支えました。
内心、絶対許せない。と思いながら、
それでも彼らを励まし、
時に笑顔で、
出来すぎた良い子として接し続けました。
20代の頃、
蒸発した母親に再会しましたが、
「私が借金を作って蒸発して、良かったでしょ?(勉強になったでしょ?)」
そんなことを言われても、
彼らを励まし続けたのです。
人生を変える一言との出会い
もう、悩み抜いたと言ってもいいかもしれません。
30才前後の頃だったと思います。
自分はどうすれば親の問題から解放されるのか。
そんなことをネットで探していた時だったでしょうか。
とあるネット上の一文に、
ひどく混乱しました。
なぜなら、
これこそが、のちに私を変える一言だったから。
それは、あまりにも衝撃的でした。
「30才を過ぎたら、親は理由にならない。」
ハッキリとそう書いてあったのです。
自分が不幸だと思っているのは、まぎれもなく、自分のせいだと。
自分の不幸を親のせいにしているのは、ただの言い訳だと。
頭を殴られたような衝撃でした。
そんなこと、あっていいわけがない。
こんなにもつらくて、
こんなにもひどい幼少期を過ごしてきて、
私はまだ、こんなにも悩んでいるのに!
これが私のせいだというの?!
でも、これが、私のターニングポイントとなりました。
その後の人生
この考え方が正しいとは思っていません。
私自身も、コレが答えだと言う気はありません。
でも、私にとっては、
人生を変える一言になりました。
この言葉が、いつも頭の片隅から離れず、忘れることができなかったのです。
そして、
そこから数年経って、
私は結婚し、
会社を辞め、
心理学を学び、
今に至ります。
誰も言い訳にしない生き方が、私はしたかったんだと思います。
だからこそ、
心に強く響いたのだと思う。
だからこそ、
私を幸せにしてあげたくて、心理学を学んだのだと思う。
今では、
父親とも、母親とも、仲が良いのです。
時々電話したり、会ったり、ご飯を食べたり。。。
年老いた父と母を前に、
あと何年、こうして親子として会話ができるだろうかと思ったりしています。
許そう許そうと必死だった自分は、
どこかへ行ってしまいました。
本当は、
彼らを許せない自分を許したかった。
今だからこそ、思うことです。
そして、
自分の人生を生きる。とは何なのか。
その答えが分からないとしても、
「今、私は自分の人生を生きている」
昔の自分に、
そうやって胸を張って言えることが、
今の私の誇りなのです。
あなたにとって、
今日という日が、最高の一日でありますように。
心から、そう願っています。